【鳥山明】漫画文化を根付かせたレジェンドが急逝…携わった作品を振り返ろう。

鳥山明のエピソード

  • 幼少期から絵を描くことが好きで、欲しい物があるとそれを手に入れるまで、あるいは興味がなくなるまで絵に描き続ける癖があり、その癖は漫画家になって以降も続いている。
  • デザイン会社に就職したが地道な作業の繰り返しに嫌気が差し、喫茶店で偶然手に取った『週刊少年マガジン』の新人賞の記事を見つけ、賞金50万円目当てに23歳にして初めて漫画を執筆。
  • 締め切りに間に合わなかったため、賞金が一緒なのにページ数は半分でよかった『週刊少年ジャンプ』の新人賞に応募。入賞には及ばなかったものの、当時『週刊少年ジャンプ』の編集者だった鳥嶋和彦氏にセンスを認められ、作品を見せるようになっていった。
  • 人気が出ない数年間ののち、『Dr.スランプ』が大ヒット。漫画家で初の所得5億超えを達成。しかし6日連続徹夜など多忙な日々となる。
  • いたずら電話が多く、「漫画家になって1番後悔したことは本名で活動したこと」と言っていた。
  • アイデアが出なくなり『Dr.スランプ』の終了を申し出たところ、3か月後に新連載をするならという条件を出され、それによって新連載となったのが『ドラゴンボール』。
  • 亀仙人の必殺技で『カメ』を使った言葉を考えていたところ、奥さんが『かめはめ波ってどう?』と提案し採用した。
  • 孫悟空が成長してからタイトルに『Z』がついたが、『タイトルを変更して新番組という体裁にすると宣伝費が豊富に使えるから』という理由からだった。
  • 面倒くさがりで、背景を簡単にするために市街地を爆破して荒野にしたり、理由を付けて荒野に移動させたりした。

訃報、ひとびとの反応

とよたろう

『ドラゴンボール超(スーパー)』の漫画家、とよたろう。

鳥山氏本人から後継者として鍛えられたとよたろう氏の悲痛さは計り知れませんね。

鳥山先生にほめられたくて漫画描いてました。僕のすべてでした

引用元

尾田 栄一郎

「最も多く発行された単一作者によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定されている漫画『ワンピース』の作者、尾田栄一郎氏。

漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り
大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり
漫画ってこんな事もできるんだ
世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。
突き進むヒーローを見ているようでした。

漫画家に限らず
あらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代に
ドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。
その存在は、大樹です。

あまりに早すぎます。
空いた穴があまりに大きすぎます。

もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。
子供の頃から憧れすぎていて
初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。
我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道
岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。
最後に交わした会話も覚えています。

漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り
大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり
漫画ってこんな事もできるんだ
世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。
突き進むヒーローを見ているようでした。

漫画家に限らず
あらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代に
ドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。
その存在は、大樹です。

同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって
鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。
怖いくらいに。
でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。
僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。

鳥山先生の残された創造性豊かな世界に
敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。

天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。

尾田栄一郎

引用元

岸本斉史

『NARUTO』そして続編『BORUTO』の作者岸本斉史氏。

過去のインタビューにて、「これこそが主人公だという代表的な存在は孫悟空」と語っていた岸本氏。世界中で愛されているナルトのキャラクターは、鳥山氏に影響されていました。

突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。
ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。

小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。
嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。
本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!
大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。
とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。
でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。
僕も先生のような作品を作りたい!
先生のようになりたい!
と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。
漫画作りが楽しかったからです。
先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。
先生はいつも僕の指針でした。
憧れでした。
先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。
僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。

初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。
ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。
ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。

今、先生のご訃報を受けたばかりです。
ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…
まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。
今は大好きなドラゴンボールも読めません。
先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。
世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。
もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…
それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。

鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。

残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。
ご自愛くださいませ。
鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。

岸本斉史

引用元

桂正和

『電影少女』『I”s』『ZETMAN』など繊細な女性像の画力で有名な漫画家、桂正和。

同業者というだけではない友人であった鳥山氏を偲びました。

力がぬけて気力が出ません。
こんな事のコメントはしたくないですね。
けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。
ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。

思い返しても。大袈裟でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。
面白い人だった。
すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。

本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。
でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。
漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。
けど、本人と接する時は微塵もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。

去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。
本当ーーに、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。
40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。
なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。
そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は「多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔がつくからスピーチして下さいね!」と約束したのに、守ってもらえなかった。

メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。
もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。
話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。
私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです。

桂正和

引用元

空知英秋

『銀魂』の作者、空知英秋。

ドラゴンボールのパロディネタを多く扱ってきた空知氏。彼の個性的な語彙力全開の追悼メッセージが発表された。

引用元

村田雄介

『アイシールド21』『アンパンマン』の作画で知られる漫画家、村田雄介。

僕は漫画家になりたいのではなく、鳥山先生になりたくてこの道に進んだという感覚があります。
鳥山先生のように描きたかった。

僕は漫画家になりたいのではなく、鳥山先生になりたくてこの道に進んだという感覚があります。
鳥山先生のように描きたかった。

連載が始まって間もない頃、お目にかかった際に、ペイペイの新人の僕にドラクエのキャラデザインの経緯をにこやかにお話ししてくださる先生のお人柄に接し、めちゃくちゃ強いのに底抜けに朗らかで人に緊張を与えない悟空やアラレたちは確かにこの方の中から生まれたんだと感じました。

あまりに突然すぎて一日呆然としました。
悲しいのか虚しいのか、突然開いた巨大な穴をまだ受け止めきれません。

引用元

矢吹健太朗

『ToLOVEる』『あやかしトライアングル』などの漫画家、矢吹健太朗。

少年時代にジャンプで開催されたドラゴンボールの読者参加企画に掲載されたこと、自身の漫画ToLOVEるの10周年企画で鳥山氏が描いたイラストを投稿しました。

長文ですが
心の整理をつけるためにも
個人的な想いを綴らせてください。

少年の頃、転校が多く
1人になりがちな僕でしたが
ドラゴンボールの話題をキッカケにすれば
どこでも新しい友だちができました。

鳥山先生のイラストをたくさん模写して
マンガを描く楽しさを知りました。
ドラクエもクロノトリガーもハマりました。

僕の絵が初めてジャンプに載ったのは
ドラゴンボールの読者企画のハガキでした。
それが一つの自信となり、数年後に漫画賞に投稿する行動につながったと思います。

直接お会いする機会には
恵まれませんでしたが、もしチャンスが
あっても恐れ多くて近づけなかったかも…そのくらい憧れの人でした。

ToLOVEる10周年で描いていただいた
イラストと優しさ溢れるコメントは
生涯の宝物です。

僕の、みんなの人生に
たくさんの楽しい思い出を作ってくれた
鳥山先生、
本当にありがとうございました。

いつか頭に輪っかをつけた先生に
会える日を祈って…
心よりのご冥福をお祈りいたします。

引用元

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